コラムニストの高山真さんの自伝的小説ともいわれている「エゴイスト」をBL映画だと思われている方いませんか?
近年日本を含めたアジア全体で盛り上がりを見せている「BL/ボーイズラブ」というLGBTQ+と関係ありそうでなさそうでモヤモヤしてしまうジャンルの関係性を深掘りしていきます!
画像出典:映画エゴイスト公式予告
この記事でわかることは?
本質を見失いがちな腐女子視点
「エゴイスト」の意味(ネタバレあり)
クィアな視点で観るとわかる本質
原作小説を見るべき5つの理由
著者「高山真」とは?
クィア映画とは?
以上の項目について、さっそく解説していきます!
BL作品とクィア(LGBTQ+)作品は、何がちがう?
秒でわかるBL歴史
BLとは?
男性同士の恋愛がテーマの作品。
「Boy’s Love」ボーイズラブの略。
由来は1980年頃に連載された竹宮惠子の「風と木の詩」で描かれた”少年愛”が進化して現在のBLというジャンルになりました。
男性同士の恋愛がテーマですが、当初は社会的に女性を自由に描けなかった為、「女性の代替えとしての男性」であり、LGBTQ+とは関係のない文化背景から生まれた作品です。
つまり”根本”が違う!
BLにも多様性
そもそものマンガ成り立ちの背景が全く違うんですが、BL作品の出発点から年月を経て、時代の影響や描き手の世代交代で作品のテーマも多様化していきます。
一部の女性の為の娯楽要素の強かったBL作品から、新しい切り口や視点でBLを描くことによりより、読者層の幅も広がりました。
特に近年はLGBTQ+の心情を汲み取るような作品も少しづつ増えています。
BLも「多様化の時代」です。
クィア作品とは?
日本ではまだ一般の人にまで“クィア”という言葉も“クィア映画”という言葉も一部の人の言葉で馴染みがありません。
”クィア作品”であるにも関わらず”BL”に焦点を当てて見てしまうことで、核となるこの映画の大切な部分を見落とし、映画の評価を下げてしまう傾向があります。
今回この「エゴイスト」という作品はゲイのインティマシー・コレオグラファー、LGBTQ+インクルーシブディレクター”クィアな人達”を制作陣に起用していること、
何よりも原作者の高山真さんがゲイであり、その自伝的小説が原作になっています。
つまり、BL映画ではなく当事者視点のクィア映画であることの証明でもあります。
本質を見失いがちな腐女子視点
腐女子視点とは?
この作品が伝えたいことは何なのか?
当たり前のことですが、想いを伝えるため、訴えかけるために作品があるのです。
映画や原作小説のタイトルでもある「エゴイスト」とは結局どういうことだったのかの答え探しをしながら観ていただきたい作品です。
腐女子視点
BL作品も基本的には少女マンガと同じで、恋愛要素がテーマです。
そのため、腐女子がこの作品を見る目的も”二人にスポットライトを当て、恋愛の要素に期待して見る”ことでしょう。
重要なのは物語後半から
この作品は恋愛映画のジャンルでありながら恋愛はきっかけであり、むしろ作品が伝えたいことは恋愛要素の中ではなく作品の後半部分に凝縮されているのです。
腐女子視点で恋愛映画に期待して作品を見ると、「しんどいけどギリギリ救いのある人間愛」が本質なわけなので「思っているのと違った」という現象が起きてしまうわけです。
原作小説と映画では異なる点(ネタバレあり)
小説は自伝的に高山真さんが過去を振り返りながら物語が進んでいくスタイルです。
映画は第三者の視点で撮影されています。
カメラワークのブレについて言及している人もいますが、個人的にはこの作品をリアリティ感を出し、ノンフィクションで浩輔や龍太を目線で追うようなドキュメンタリーのような演出です。
ベッドシーンは小説と映画で全く異なる印象
映画のシーンでは、亮太と浩輔との親密さや夢中になっていく様が描かれています。
ネイビーのシーツを選んだのは誰なんでしょう?
肌の色がとても映えて印象的に仕上がっています。
小説ではロマンティックな要素というより、浩輔が龍太とのベッドシーンを通して違和感を覚えるシーンとして書かれています。
この違和感がキッカケで龍太がウリの仕事をしていることに気づきます。
※龍太がウリの仕事をしていることを浩輔に話す玄関でのやり取りする場面は小説に書かれていません。
龍太はベッドの上でのことを”仕事”として教えられたようにすることしか知らないわけです。
おそらく龍太が一番最初に経験したであろう時さえも、恋愛ではなくお金のために仕事として経験したと推測されるわけです。(切ない。。。)
今まで割り切っていたことが、浩輔に出会って初めて無償の愛情を知ってしまった為、ビジネスとしてウリをすることができなくなってしまうことからも龍太の浩輔への気持ちが伝わります。
インティマシー・コレオグラファー監修
映画では当事者であるゲイの「インティマシー・コレオグラファー」が監修しています。
インティマシー・コレオグラファーとは?
インティマシー(密接な関係)わかりやすく言うと性的、肉体的な関係のシーンを演出する際にその動作、所作をプロとして指導する専門の監督であり、ハラスメントが起きないよう俳優さんを守る重要な立場の職業。
ゲイではない俳優さん同士が演じるゲイのベッドシーンとなるので、ゲイの当事者の方から指導の元、リアリティが感じられるけれど、生々しすぎず作品としての美しさも感じられる仕上がりになっています。
その美しく仕上がったベッドシーンを強調するが故に本来は龍太に対して違和感を覚える一節だったベッドシーンがBL作品に見えてしまうというジレンマになるわけですが。。。
龍太の”ウリ”シーンの意味
逆に小説は浩輔視点なので、映画のような龍太がウリをしているシーンは書かれていません。
ウリをする龍太のシーンは一度だけではありません。
このシーンは女性のレビューには、あまり観たくなかった、必要なの?という声が観られました。
かなりの人数とのウリのシーンは不必要なようでいて、龍太の人生の”しんどさ”を視覚的に体感してもらうために必要だったのではないかと考えられます。
また、宮沢氷魚さん自身もよりこのシーンを演じることで”龍太がどういう人生を送って来たのか”にエンパシーを感じられるシーンでもあったのではないでしょうか?
貧困から逃れるために選んだ美しさとは無縁で、ロマンティックでも無い、現実的なしんどいシーンこそが龍太の過ごして来た現実世界なわけです。
映画がBL意識している?!
BL市場を意識?
BL市場はコロナ以降の本格的なブームが来る前の2015年の時点で200億円超えの市場になるほど右肩上がりの市場として注目されています。
「エゴイスト」とジャンルは異なりますが、2016年にドラマが話題になり、後に映画化された「おっさんずラブ」をキッカケに腐女子のみに支持されていたBLが一般層へと広がりを見せました。
「エゴイスト」も映画化されるにあたり、BL作品ではないけれどBLビジネス市場の恩恵を受けようとしているように感じる部分が無いとは言えません。
映画のフライヤーがBL?!
画像出典
映画『エゴイスト』(C) 2023 高山真・小学館/「エゴイスト」製作委員会
衝撃的、かつとてもきれいな仕上がりのフライヤーですが、海外のLGBTQ+作品でもこのようなシーンを切り取ったフライヤーはほぼ見たことがありません。。。
販促活動が腐女子目線?
腐女子の概念でBLは「ファンタジー」であり、
”彼らを二人の部屋の壁になって第三者的に眺める”という感覚があるそうです。
腐女子の夢を叶えてくれる。
テアトル新宿ロビーに設置された浩輔の部屋をイメージした装飾や、 浩輔と龍太のスタンディ。。。
(・・・ベッド?!)
男女のロマンス映画の販促活動で二人のベッドを展示することは無いと思うんですよね。
販促のフライヤーがベッドのシーンだったので仕方ないんですかね。
浩輔の部屋の存在感のあるソファーとか、浩輔がコーヒーを飲んでいたミニテーブルと後から買い足した龍太の分の椅子の方がよりグッとくると思いませんか?
成功してなんぼのもん
映画を成功の側面から考えると、やはり多くの人に見てもらい話題になることは非常に重要です。
「エゴイスト」はR15の年齢制限があることと、家族の物語でもあるのですが、濃厚なベッドシーンや、ウリのシーンも含まれる為、家族みんなで見るには不向きな映画かもしれません。
一般のメジャー映画よりも見る人がある程度限られてしまう為、社会派の側面よりも”BL作品を好む人”のチカラも借りたいということでBLを匂わせのような販促活動をしてしまうのは仕方ないことなのでしょう。
エゴイストの意味(ネタバレあり)
この2つを念頭に置いて鑑賞することで腐女子視点のミスリーディング防ぐことができると想います。
龍太は浩輔
浩輔は龍太と出会います。
もちろん見た目も素敵な龍太ですが、浩輔が龍太に運命を感じてしまった理由というのは、「母親」というのが重要なキーワードになります。
龍太の家は母子家庭で経済状態もかなり悪い。
病気がちな母親をいたわり頑張っている龍太。
自分が出来ないままこの世を去った母親への想いと重なる。
龍太の生きている母と、浩輔の亡くなってしまった母、そしてまだ未熟な龍太に当時の自分を重ね合わせることで龍太の中に当時の報われない自分が見えます。
龍太は”過去の自分”であるという想いがより強い結びつきを感じさせ、つまり運命と感じるわけです。
大人になって経済力もある自分なら龍太(過去の自分)も龍太の母親(自分は何もできずに死なせてしまった母親)を救うチカラがあると思い使命感を抱く。
そしてここからが、
「良かれと思ってやったのに。」という状況になっていきます。(しんどすぎる。。。)
浩輔が龍太と龍太のお母さんを助けようとすればするほど龍太を追い込んでしまうわけです。涙
愛とエゴイストは紙一重
自分が失ってしまいトラウマになってしまった母親への想いを埋めるように龍太の母親へと尽くす浩輔。本当に胸が痛むシーンでした。
映画館でもすすり泣く声があちこちから。。。私自身もその中のひとりでした。
浩輔の龍太と龍太の母親への愛が龍太を死に追いやります。実話だと思うと本当に苦しすぎます。
龍太が亡くなった後の浩輔の龍太の母親への償いもが他人の領域を超え始めます。
そして龍太の母親が入院したことをキッカケに、ますます病床で亡くなった自分の母親と重なってしまうのです。
映画後半くらいからははもう、「ツラい」と「しんどい」のオンパレード過ぎて泣くのを必死でこらえるのに喉が痛くなりました。涙
本当最期の最期、浩輔も私自身もギリギリのところで龍太のお母さんの言葉に救われました。
浩輔「僕は愛がなんなのかわかりません」
龍太母「私が愛だと思ってるから、それは愛なのよ」
クィアな視点で観ると本質がわかる
クィアな視点
LGBTQ+作品を見るにあたり一番大切なことは、クィアな人もそうでない人も、自分のジェンダー・アイデンティティを一度フラットな状態にして見ることです。
性別が自分と違う主人公にも感情移入できる人はこのクィアな視点というのが自然とできるタイプの人か、私と同じクィアな人なのでしょう。
作品を通して当事者の置かれている社会的な背景であったり、人間関係であったり、当事者の心情にエンパシーを感じてみることが大切だと思います。
PINT SCOPE 松永大司監督×ミヤタ廉
(LGBTQ+inclusive director)×Seigo(intimacy choreographer) インタビュー
“前例のない” 映画づくりで、誰にとっても「心の置き場がある」作品を志す
「エゴイスト」はヒューマン映画
この映画「エゴイスト」をクィアな視点で見ると、男性同士の恋愛という要素が含まれていても、恋愛の部分にだけ焦点を当てないで観るのでこの作品を恋愛映画ではなくヒューマン映画という感覚で観ることができます。
恋愛要素の部分にも「母親」の存在がキーワードになっており、母親の存無くしてこの二人を語ることはできません。
また、ストーリーの中にある社会問題も含めてこの物語が成り立っています。
所得シングルマザーの問題
ヤングケアラーの存在
エゴイストがクィア映画な理由
当事者視点で嘘がない作品
この作品は、当事者が監修しています。
「インティマシー・コレオグラファー」として”Seigo”
「LGBTQ +インクルーシブ・ディレクター」として”ミヤタ廉”が監修しており
「当事者から観ても嘘がない作品」であることに配慮しながら作り上げられている。
クィア映画として世界基準の評価に値する理由になります。
日本のクィア映画祭に出品されるような作品以外の大手が配給するLGBTQ+を作品でのこのような取り組みは初めてのことなのにも注目が集まっています。
また松永大司監督は性同一性障害で友人でもある「ピュ~ぴる」を題材にしたドキュメンタリ映画の監督を努めた経験もあり、以前よりLGBTQ+に近い位置で携わっています。
松永大司監督作品「ピュ~ぴる」
画像出典:Yahoo! 映画
個性的な手作りのコスチュームを身に着けてパフォーマンスを行い、イタリア版「VOGUE」誌などで取り上げられて国際的にも注目を集める芸術家。
ピュ~ぴるの素顔に迫るドキュメンタリー。
性同一性障害を持つ男性として、そして新進アーティストとして、模索を続けていたピュ~ぴるの2001年からの8年間。
当時、奇抜な存在としてフジテレビ系列のお昼のバラエティ長寿番組だった「いいとも」にも出演していたこともある。
また、ドラァグクィーンがいるクラブイベントで見かけることもありました。
ドラァグクィーンを上回る奇抜な個性溢れるファッションセンスの持ち主。
インティマシー・コレオグラファーとは? 性描写のある場面(インティマシー・シーン)で、制作側と俳優側の間に入って両者が同じイメージで撮影に臨めるようサポートする仕事です。(この時点では日本では2名のみ)
Numero TOKYO
映画の未来のために。インティマシー・シーンについて考える
タイムアウト東京
日本映画界から生まれた新需要「LGBTQ+インクルーシブディレクター」とは
原作小説「エゴイスト」を読むべき5つの理由
画像出典:Amazon
Amazonでもベストセラーとなり一時通販サイトで完売になる人気ぶり。
エゴイスト (小学館文庫 た 42-1) 文庫 – 2022/8/5
原作に浩輔の答えがある。
①文章には毒っぽさもあるが心に直に刺さる素直で飾り気のない表現。
②浩輔の心情の部分が具体的に書かれているので理解しやすい。
③映像視点と文字描写をリンクさせることで完全に作品を理解できる
④「エゴイスト」であると浩輔が考える理由が書かれている。
⑤浩輔の心情が痛いほど伝わり映画以上に号泣することになる。
表紙カバ字体の謎
表紙カバーの書体に意味はある?
ネット検索しても出てこないのですが、この元々の方のカバーのエゴイストの文字は一体何でつくられているのか気になるのは私だけでしょうか?!
廃材のような、中の章ごとの数字もコレと同じ物体で数字を表しているのですが、そこまでして拘っているってきっと意味のあることなのでは?と思うのは気にしすぎなんですかね?!
もし、知っている方か、わかったという方教えてください!
とてもとても気になります。
画像:Amazon
小説の中の浩輔の心情で心に響いた一節
僕と父と龍太は、
みんな違う人間でみんなおなじだ。僕の母と龍太の母は違う人間で、
みんなおなじだ。大事なんだから、しょうがない。
エゴイスト 高山真
しょうがないから、やるしかない。
人に惹かれる要因として、自分と似ていて自己投影して相手に運命を感じたり、自分に欠けている部分を持ち合わせている相手を自分の片割れのような運命を感じる場合など様々ですね。
映画「君の名前で僕を呼んで」も”君は僕で、僕は君”という作品だったことが頭を過りました。
”高山真”とはどんな人?
高山さんがゲイであることは2016年に出版された著書「恋愛がらみ。不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ」や「愛は毒か 毒が愛か 」「こんなオトコの子の落としかた、アナタ知らなかったでしょ」からもわかると思います。
高山真 (著) 発売日 : 2016/1/30
ファッション誌『Oggi』誌上でオトコにも人生にも不器用な女子たちのお悩みに答え続けて祝10年。その超人気エッセイ「マナー美人の心意気」から「恋愛がらみ」に特化して書籍化した本書には、刺さるフレーズが満載です。
マツコ・デラックス、ミッツ・マングローブ両氏とも旧知の間柄、フリーランス編集者でエッセイストの高山真、「愛のダメ出し」満載の新感覚幸福論です。
出典:Amazon 現在販売終了のため中古でしか入手不可。kindleあり。
愛は毒か 毒が愛か (MouRa) 単行本 – 2007/9/26
『女性の品格』に真っ向勝負! 『負け犬の遠吠え』を援護射撃!
「“女の幸せ”があなたを苦しめるものだったら……どうするの?」と本音で問いかける、革命的「恋愛論」が登場しました。
「結局女は、若くて・可愛くて・従順で・愛されることに価値がある」という“おためごかし”が蔓延する「恋愛エッセイ業界」に戦うオカマが殴り込みをかけます!
……といっても、そこは芸達者なゲイ。
体を張ってマイノリティ差別と戦ってきた“体験談”はシビアで過激ですが、それをウィットに富んだ、極上のエンターテイメントに昇華して、お届けします。
盟友マツコ・デラックスとの爆笑ロング対談も必読です!
出典:Amazon 現在販売終了しているので中古でしか入手不可。
こんなオトコの子の落としかた、アナタ知らなかったでしょ 単行本 – 2003/6/1
有名雑誌の男性ゲイ編集者による、女性のための「恋愛&人生」エッセイ。笑いあり、涙ありで、読めば今すぐ元気が出ること間違いなし! 1日20万アクセスサイトの人気エッセイを単行本化。
出典:Amazon 現在販売終了しているので中古でしか入手不可。
高山さんは業界では女装家のマツコ・デラックス、ミッツ・マングローブと高山さんご本人を合わせて”三大オネエ”と言われているとか?!
両氏とも旧知の間柄ということや映画の中でも登場するドラァグクィーンのドリアン・ロロブリジータとの交友もあり、高山さんのブログを読むとわかりますがいわゆる”オネエ”言葉で文章を綴られていたりもします。
故・高山真さんのブログ Hatena Blog
高山真のよしなしごと(新)
クィア映画とは? 判断する5つのポイント
「クィア」とは一言で表すならば「LGBTQ+」つまり性的マイノリティ全てを包括する意味合いで現在は使用されています。
LGBTQ+映画=クィア映画とも言えます。
クィアな作品ポイント5
①大前提として性的マイノリティを主役にした映画はクィアな映画である。
②作家、演出家、制作サイドや俳優陣、映画製作に関わるいずれかにクィアな人々が携わっている。
③クィアなストーリーでない場合もクィアな人々がクィアな視点で解釈し支持される作品であること。
④クィアな作品を鑑賞し、クィアな登場人物と同一化した心理的なプロセスが体験できる映画。
⑤クィアな作品でない場合もジェンダーロールモデルから逸脱したキャラクターが登場する作品もクィア映画と認識できる。
結局のところクィア映画の概念はかなり幅があり、また様々な人々の感覚や解釈による物もあるので難しいのが現状です。
重要なのはその作品に登場するクィアな人々が軽蔑の対象として、搾取の対象としてでは無く、直面する問題を有意義な形で描写するものこそが、クィア映画にとって重要と言えるのではないでしょうか。
私一個人の意見だけでは信憑性にかけるため、レズビアン、ゲイ、クィア研究をされているyutabou85様のサイトを読み深く共感、また知らない知識を得られ参考になりましたので要約、紹介させて頂きました。
Hatena Blog yutabou85様
クィア映画とは何か?
No Rainbows, No Ruby Slippers, But a Pen
私が「エゴイスト」を観た理由
ティーザーの印象は微妙
今回友人からこの映画のことを教えてもらい、告知動画を見たところ出だしから二人の濃厚なシーンで始まったので少し面食らってしまったのは事実です。
高校生でウォン・カーウァイ監督のブエノス・アイレスや単館映画系など当時はR指定もいまより緩かったので、けっこう色々見ているので特に男性同士のシーンに対しての驚きは全くありません。
初っ端からそこのシーンでアイキャッチ図るというのはどうなのか?という意味で面食らいました。
ヒューマン系BL作品なのだろうか?と疑問を持ちつつBL作品だったら見に行くつもりはなかったのですが、原作を調べたところゲイである高山真さんの自伝的小説だと知り小説だけ読むつもりでいました。
ぴゅ〜ぴるちゃん
その後You Tubeで告知動画以外に様々な角度で映画紹介されていて、聞き覚えのある懐かしい名前が!
ぴゅ〜ぴるちゃんのドキュメンタリーを映画にした人が監督であることを知り映画も気になりだしたところ、作者の高山真さんが映画完成の少し前に亡くなられたということが個人的に非常に気に病みました。
亡くなっていたゲイの友人と重なる
なぜ気に病んだかと言うと、若い時に一時期交流のあったゲイの知人が若くして亡くなってしまったことと重なってしまったからです。
若い頃毎週の様に彼のイベントに出かけていました。自分のお店を西麻布に出したから遊びに来てと電話をもらい声を聞いたのが最後でした。
年齢と共にライフスタイルが変わったり、優先順位などが変化していくことは世の常です。
ふと心に余裕が出来た時に思い出し元気かな?
と気軽な気持ちでネットで検索したら闘病の末に亡くなっていたという衝撃の事実を知りました。
夜に働く仕事は身体にも負担が多く徐々に仕事も難しくなったのであろうと思われる闘病を援助する助け合い基金を設立していたことなどが書かれた記事を彼の死後数年経ってから見つけてしまいました。
楽しい時間を共有していたのに何も力になれななかったことがひどく残酷に感じて苦しかった。
当時一緒に撮ったスナップも私の思い出の中の一枚です。
高山真さんと同じ病気というわけではないのですが、ゲイであることと、寿命を全う出来ずに亡くなってしまったということが私の中で勝手にリンクしてしまったのです。
小説?映画?どっち先?
高山真さんが残した作品は絶対に観に行かねばならない映画だと使命感なのか贖罪の気持ちなのかよくわからないけれどとにかくいても立ってもいられずにすぐに観にいきました。
事前に購入した小説と映画、どちらを先にしようか迷いましたが、予備知識ない状態で映画を観ることににました。
帰宅して映画の熱が冷めないうちにすぐに小説も熟読させて頂きました。
高山真さん、並びに私の青春時代の知人のお二人のご冥福をお祈りします。
まとめ
素晴らしい作品の本質を観てほしい!
本当にあんなに号泣しながら本を読んだのは過去に1回あったかどうかというくらい高山真さんの真っ直ぐな心の叫びのような描写と龍太やお母さんとのやりとりにに心が張り裂けそうで、本当に辛かったです。
そして最期のさいごには私の心も救われました。
この素晴らしい映画のことをより深く知ってほしい!
BL作品としてではなく、ぜひクィア映画として人間愛に焦点を当てて見てほしい!という強い気持ちから記事を書かせて頂きました。
長々となりましたが、最期までお読み頂いた方、ありがとうございました